イベントレポート
立川通りをあるく(南編)3月13日(金)
- ジャンル 体験
立川初心者「通りあるき」
第1回 立川通りをあるく(南編)
「通りあるき」とは
立川在住1年の立川初心者の私が立川の通りをあるいていろいろ不思議を探します。
立川に来て1年が過ぎました。まだまだ知らない事が多く、昔はどうだったとか、何故ここにこれがあるのかと興味を持っています。この機会に、いろいろ解明できればと思い、無謀にも通りをうろうろ歩いていろいろ探したいと思います。
初心者の私目線で恐縮ですが、通りを歩きながら、そこで見つけた不思議なものをご紹介します。
そんなこと知ってるよと言われるかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。
さすがに、全部いっぺんにとはいきませんので、区切りながら徐々に完成させて行きます。
場合によっては、謎のままと言うこともありますので、情報をお持ちの方はお知らせください。
「立川通り」(南編)
恐らくその名の通り立川を代表する通りと勝手に思って選びました。
立川通りは東京都道だそうです。ここで道路について整理しますね。国道、都道府県道、市町村道等と分類されますが、道路法により定義されています。難しいことが書かれていますが、当道府県をつなぐのが国道、市町村を市町村をつなぐのが都道府県道、市町村内の道路が市町村道と考えればよいかと思います。(例外もありますが)
そうすると、立川通りは立川市内と近隣市町村をつないでいることになります。起点と終点はどこでしょう?
立川市錦町6丁目が起点、小平市小川町1丁目が終点と東京都の資料にありました。
長い通りなので、まずは南編、起点の日野橋交差点から曙町2交差点まで。
それでは写真を見ながら「立川通り」を歩いてみましょう。
立川に来て1年が過ぎました。まだまだ知らない事が多く、昔はどうだったとか、何故ここにこれがあるのかと興味を持っています。この機会に、いろいろ解明できればと思い、無謀にも通りをうろうろ歩いていろいろ探したいと思います。
初心者の私目線で恐縮ですが、通りを歩きながら、そこで見つけた不思議なものをご紹介します。
そんなこと知ってるよと言われるかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。
さすがに、全部いっぺんにとはいきませんので、区切りながら徐々に完成させて行きます。
場合によっては、謎のままと言うこともありますので、情報をお持ちの方はお知らせください。
「立川通り」(南編)
恐らくその名の通り立川を代表する通りと勝手に思って選びました。
立川通りは東京都道だそうです。ここで道路について整理しますね。国道、都道府県道、市町村道等と分類されますが、道路法により定義されています。難しいことが書かれていますが、当道府県をつなぐのが国道、市町村を市町村をつなぐのが都道府県道、市町村内の道路が市町村道と考えればよいかと思います。(例外もありますが)
そうすると、立川通りは立川市内と近隣市町村をつないでいることになります。起点と終点はどこでしょう?
立川市錦町6丁目が起点、小平市小川町1丁目が終点と東京都の資料にありました。
長い通りなので、まずは南編、起点の日野橋交差点から曙町2交差点まで。
それでは写真を見ながら「立川通り」を歩いてみましょう。
日野橋交差点
ここが錦町6丁目の起点の位置です。 道路標識を見ると片側が「<」になっています。 これはここから通りが始まることを示しています。 |
これが通りの途中、左右が「< >」になっています。 六角形の中に「16」とあります。これは都道16号線 ということです。 |
東京都建設局のサイトには
東京都通称道路名~道路の分かりやすく親しみやすい名称~
東京都では、都内の主要な国道・都道(一部、区市町村道を含む。)に、都民をはじめとする道路利用者に分かりやすく親しみやすい名称を設定し、都内交通の利便を図っています。 通称道路名は、ラジオ、テレビの交通情報や、地図情報で広く用いられています。また、道路交通の円滑化や災害時の避難経路の周知に役立てるよう、普及を図っていきます。
とあります。
起点の道路標識の下にこんな三角柱がありました。 |
日野橋交差点は甲州街道、新奥多摩街道、奥多摩街道が 交差する交通の要衝です。 |
残念ながら私は2車線のころを知りませんので、どんな状態だったか想像もできないのですが、ここからJRをくぐって「東橋」の交差点までを段階的に、かなりの年月をかけて4車線にしたようです。現在、詳細資料は入手できていませんが、平成元年(1989年)の住宅地図と現在のものを比較すると、拡幅されたことがわかります。
旧立川町耕地整理記念碑
記念碑がありました。 |
「旧立川町耕地整理記念碑」と書かれた柱 |
通りの東側を北に少し進むと、「旧立川町耕地整理記念碑」と書かれた柱がありました。
耕地整理についていろいろ調べてみました。私なりの解釈ですが、昔それぞれで開墾をした結果、小さな田んぼや畑が開拓されて、曲がりくねった畔道ができたり水路が出来たりしていたものを整理して大きな田んぼや畑に集約し、道や水路を整備した。昭和19年に道路網が出来上がったようです。
市民会館西交差点
「市民会館西」の表示 |
案内板 |
市民会館とは「アミュー立川」のことです。現在は「RISURUホール」になっています。
市役所跡
新旧の看板が並んでいます |
子ども未来センター |
元職業安定所
「子ども未来センター北」の表示 |
駐車場の電光掲示板 |
立川立体
鬼公園が見えます。 |
立川立体 |
現在は青い陸橋(写真左)でつながっていますが、以前はいったん下まで降りていたそうです。
「写真で見る立川の街づくりーあゆみと今ー(立川市発行)」によると、この立川立体は平成13年に完成したと記載されています。
東橋交差点
向かって左に曲がると曙橋 |
向かって右側には駐車場が |
曙町2交差点
5差路の交差点。正面がファーレ立川。 |
向かって右側が立川通りの続き。 |
ここで「立川通り南編」は終了します。新しい情報が入れば更新します。