刀剣研磨は伝統の技。
刀を研ぎ 心を鍛錬する本阿彌流 刀剣研師 苅田直治さん
苅田直治さん。
本阿彌流の刀剣研師だ。
立川駅南口からすぐのところにある古美術を扱う店。
店を構える研師はそういない。
集中して研ぐ時は、苅田さんも店に鍵をかけてしまう。
貴重な刀の刃を最高級の砥石にあてる。
空気が張る。
研ぎすまされた一瞬。
苅田さんが手にしているのは、来国光(らいくにみつ)。
材料の地金が最もいい時期、主に鎌倉時代末期に活躍した名工だ。名刀である。
来国光の刀は希少価値が高い。
研師は刀の化粧を落とし、ふたたび化粧をほどこして保存する。
片方に刃があるから、かたなという。
戦法が変われば武器の形も変わってくる。
馬に乗って戦っていた時代使っていたのは太刀。長くて反りが深く、腰に吊るすので刃が下を向いていて上から斬りつけるのに適している。徒歩(かち)で戦うとき刀は帯に差す。刃は上を向き、反りは浅く長さも若干短くなってくる。
深い刃文 互の目乱(ぐのめみだれ)
刀鍛冶は5年で作ることを許される。
刀の研ぎは10年。
師に対して疑う目をもつと修行は続けられない。
先生が白いものを赤といったら、それは黙って聞いていればいい。やがて5年、6年経てば先生がなぜ赤といったかが分かってくる。
「自分の常識が頭にあると黙って聞いていられない。
赤ではない、白だと言いたくなる。言ってしまったら、修行はそこで終わりです」と苅田さん。
真剣勝負の武道はスポーツとは異なる。伝統芸能や武道は「気」ともいうべき目に見えないものを扱う。これは長年やっているうちにわかってくることで、最初から否定してしまうと継承できなくなる。
飾りだけでなく護ってもらう意味
苅田さんは太極拳の先生でもある。
太極拳にはゆっくりとしたイメージがあるが、本来は命がけの勝負。相手の力を受けるより、流す。力を使うわけではない。力を抜いて勁(けい)を使う。年齢が高くても勝てるのはそのためだ。肩の力を抜くと自ずとなで肩になる。気を上丹田から中丹田へ、さらに下丹田へ落としていく。腹が出てくる。
「ペットボトルと同じです。水を三分の一くらい入れて立て、つつくと倒れない。しかし頭まで水を入れると倒れてしまうでしょ?」。
人間も同じだそうだ。腹に気を落とした人間は少しのことでは倒れない。そうでないと、刀を使うことはできないのだろう。
鎧兜には赤など派手な色が好まれる。
「武士にとって鎧兜は死装束。美しく、強く見せるわけです」。
死装束--「帰って来ようなどと思ったら、その時点で守りに入りますから」。
苅田さんが刀を握る。
言葉を姿に表したように凛々しい。