トルコと日本 友好の担い手に アイシェヌール・テキメンさん
博報招聘研究員として、
国立国語研究所に通っているトルコ人女性。
陽気で明るく、いつも前向き。
生きた日本語を巧みに使い、
国を理解し言葉を理解するためにはどんな努力も惜しまない。
自分に妥協を許さず、
いつも真正面からものごとに取り組む姿勢。
何度会っても、教えられることばかりだ。
アイシェヌール・テキメンさん。
アンカラ大学 日本語日本文学科学科長だ。
1年前に招聘研究員として国立国語研究所にやってきた。
シネマ通りの自宅から国語研まで「チャリ」で通う。
1989年に大学入学。国際関係について学びたかった。
英語やドイツ語は学校で習っていた。
もっと別の言語を学びたい。
ロシア語? 中国語?
そんなとき、友達がこんなことを言った。
「日本語は難しすぎるから日本人だけが話せるんだって!」。
もうひとつの外国語は日本語に決めた。
やがて日本語で話せるようになると通訳の仕事が舞い込んでくる。
しかし自分には通訳はできないと悟った。
通訳していても、自分の意見が言いたくなって仕方がないからだ。
東京大学大学院に留学していた頃、生きた日本語、生きた日本文化を知ろうとして質問すると、相手は外国人として答えを用意する。
顔が日本人ではないから、このままではいつまで経っても日本語を極めることはできないと思った。
剣道部に入った。27歳だった。
ここなら外国人としての特別扱い、
年上だという遠慮もないと思ったからだ。
27歳なのに稽古は1年生と同じ掃除から始まった。
日本語でしか説明されない伝統や心の修行。
言葉のためだけでなく、
剣道の魅力に引かれ段取得に挑む。
アンカラ大学で剣道を普及。
2009年5月に3段を取得した。
仕事が終わってから遠い道場へ通うのは容易ではない。
仕事の合間に体を動かすには近いところがいいと、
この日は立川女子高校剣道部を訪れた。
部員と一緒に基本の稽古をすますと、
顧問の和田教諭と試合。
シャワーを浴びたような汗を流す。
最近新しい防具を買ったのだと言う。
「お金を出して防具を買えば、辛くてもやめないでしょ」といたずらっ子のように笑う。
正座した女子高生を前に「将来はトルコに来て下さい」と挨拶していた。
一方で、ショップやファミレス、コンビニでの若い人の会話に耳を傾ける毎日。若い人の会話には積極的に参加する。聞いた言葉はすぐ使う。「どうしてそんな言葉知ってるの?」と驚くと、答えは「だって、私は日本にいるんだよ~。生きてる日本語を使わなきゃ意味がな~い」。
トルコ料理のお店では、ヨーグルトの話に花が咲く。
世界の三大料理の1つトルコ料理を食べながら、日本で最初にヨーグルトを食べたときの話をしてくれた。トルコのヨーグルトは酸味のあるプレーンなもの。蒸し暑い日本の夏に、あの爽やかなヨーグルトを食したいという思いから、コンビニに入る。手にしたヨーグルトには果実の絵があり、なにか違うとはおもいながら買う。どこか違う、なにか違うと思いつつ口にして、ショックを受けた。それまでヨーグルトをデザートとして考えたことがなかったからだ。
現在の研究テーマは「待遇表現」。具体的にどんな研究なのか。
6月22日に東京日本・トルコ婦人クラブ主催で行われた講演会で、講師としてこのように話してくれた。
「ナル表現と言いますが、自発的動作を現象化しているんですね。誰がどうしたということよりも、こういうことが起きているという表現の仕方。これは丁寧さと非常に関係が深い。例えば今日本の若者がよく使う言葉ですね。『こちらはコーヒーになります』です。
間違いだって言われる表現ですよね。その間違いだって言われることが、う~ん、なんで間違いなの? いい感じ~って思っちゃうのが、このトルコ人としての私(笑)。どうしていい感じって思うかというと、私たちトルコでは同じように、目の前に物が現れるのと同時にやはり『Kahven-iz(ol)』=コーヒーに(なります)なんですね。『コーヒーを持ってきました』『コーヒーです』って言えば、なにか指摘しているように感じる。それより現象が起きているかのように言った方が、若者には丁寧に感じられているのではないかと思っています。
この表現について最近の若者が間違っていると言われていますが、旅館などに行っても「こちらお風呂になります」と言うんですよね。しかもそれを使うのは若い人かというとそうではない。つまりこの「になります」という表現は定着しているものではないかと思っています。相手と一緒に空間を共有し、現象を指している。指示していない。教える立場でもなく、ただ記述しているので非常に丁寧に感じられるのではないでしょうか。」
他にも日本語の受け身表現は感情を表すことができるが、トルコ語の受け身は表せないとか、
膠着語同士の似た面、異なる面など具体例を交えておもしろく話してくれた。
母国語が膠着語であるということも、膠着語が何であるかという事も、母国語であるがゆえに気づけない私たち。
日本語の特徴をわかりやすくテキメンさんに指摘されることで、
さらに日本語の理解が深まりトルコ語への興味も湧いた。
来年2010年はトルコにおける日本年。
友好の要として、テキメンさんは大いに活躍してくれるにちがいない。