インタビュー

今、なぜポン教か
みんぱく 長野先生にきく国立民族学博物館 民族文化研究部 教授
長野泰彦さん

'チベット ポン教の神がみ'

立川市にある国文学研究資料館展示室で開催されていた
チベット ポン教の神がみ」。


期間中行われた講演会には、
真夏の暑い日であったにもかかわらず大勢の方が参加。
質疑応答では、よく調べ上げたメモを片手にむずかしい質問も。
展示室では説明パネルを写真に撮ったり、書き写したり。


なじみの薄い「ポン教」だったが、実は静かなブームなのか?
今、いったいなぜ「ポン教」なのか?

長野 泰彦 さん

'長野泰彦さん'

東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科宗教学宗教史学専攻課程修士課程修了、同博士課程中退。カリフォルニア大学(バークレイ校)大学院言語学部博士課程修了。

人間文化研究機構 国立民族学博物館 民族文化研究部 教授

長野泰彦さんについて

編集部

長野先生は言語学者ですよね?
東京外語大のご卒業でいらっしゃる。

長野

僕はフランス語です。

編集部

それがなぜポン教、チベットなのですか?

長野

フランス語はもちろん嫌いじゃないけれど、僕の親父は医者で、パストゥール研究所に留学しておったんです。
その時の同期生にすごい人たちがいっぱいいて、例えばフランス文学だとスタンダールの専門家の小林正とか、阪大の医学部で初めて医学概論っていうのを始めた哲学者、澤瀉久敬(おもだか ひさゆき)。
そういった人たちが時々遊びに来るんですよ。

編集部

すごい環境ですね。

長野

要するに僕は英語が嫌いでたまたまフランス語に行っただけの話なんですけれど、小林正先生の家に遊びに行っていたら、ラブレーを翻訳した渡辺一夫っていう人、ご存知ですか?

編集部

はい。私もフランス文学科出身なんで。

長野

ああ、そうですか。その渡辺先生とか、鈴木力衛っていう演劇評論家。
そういう人たちが集まっていた。
で、小林先生が僕のことを「この人フランス語やっているんだよ」と言ったら、渡辺先生って面白い人なんだけど、こう言ったんですね。
僕が外語大にいたってこともあるんですが、「君、その、一生かけてフランス語をやってね、どんなに逆立ちしたってフランスの乞食よりはうまくはなりませんよ」って。
渡辺先生っていうのは本当の比較文学者ですが、ああいうセンスがなくちゃダメなんだなって思いましたね。それで急速に興味を失っちゃったんですね。

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編集部

フランス語にですか?

長野

そう。ただね、当時、外大に若い先生がゴソッと入ってきた。岩崎力とか篠田浩一郎、それから二宮宏之ですね。その先生方が講師でおられた。
しかも非常に頭の良い方たちで、当時は珍しかったんですが、レヴィ・ストロースとかポール・ニザンといった思想的なものを2年生くらいからどんどん読ませたんですね。訳せはするけれど、何を言っているのかわからない。でもベースにはそういった思想なりあるいは人類学的発想とか、こうして耳学問ではやっていたわけです。

またもちろん外大ですから語学はものすごい。
でも一般教育にもいい先生がいた。金田一春彦先生もいましたね。
その中に言語学で徳永康元という先生がいた。この先生の語学の授業を聞いたのが影響あった。非常に広い人で、30歳までは専門を決めるなというんです。もうひとつは先生を複数持てと。
この徳永先生ご自身はハンガリーのウラル言語学の専門家なんですけれど、一般言語学、特に音韻論ですが、とても広くやっておられて、その授業を見て参加するようになったんですね。
それは今でも外大本体とはかなり独立した組織でして、割に新進気鋭の学者が集まっている。そこに後にAA研(アジア・アフリカ言語文化研究所)の所長になる人ですが、北村甫といい先生がおられて、その方がチベット語の専門家だったんで、チベット語やるなら北村君のところへ行きなさいっていうことで、のこのこ行ったんですよ。

編集部

でも先生、大学院は宗教学ですよね?

長野

僕が東大の大学院へ行こうとしていたら徳永先生から「やめたまえ」って一言のもとに言われて。それじゃ西夏語やシナ・チベット言語学で有名な西田龍雄先生がおられた京都大学かなって思ったら、その年は紛争の年で京大は入試ができなかった。困っていたところに、「我が国民間信仰史の研究」っていう本を書いて学士院賞をもらった堀一郎先生という方が、ちょうど東北大学から東大へ移られてきた。
もともとチベットをやりたいと僕は思っていましたが、堀先生はシャーマニズムの問題をずっとやっていて、チベット にも関心を持っておられた。ミルチャ・エリアーデという人が書いた「シャーマニズム」っていう本があるんですけれど、堀先生はそれを翻訳しておられたんです。その手伝いをしながら、大学院をどうしようかなと言っていたら「じゃ、宗教学にきたら?」って言われて、受けたら受かっちゃった。僕1人しか受からなかったの。

編集部

かっこいいですね~。それで宗教学というわけですね。

長野

2年間やったら堀先生が定年でお辞めになって、僕は大学の籍は宗教学の博士課程にありましたが、東洋史や印度哲学の授業ばかり出ていて、宗教学の授業にはほとんど出ず。もっぱら北村先生の研究室に行くか東洋文庫でチベット人と一緒にいてチベット語を習うかしていました。
オフィシャルには宗教学を出てしまっていて、言語学での学位をとっていないので、北村先生が心配して下さってAA研で日米共同セミナーのようなことをした時に、カリフォルニア大学バークレイ校への道をつけていただいて、言語学へ軌道修正したわけです。

編集部

そこで言語学になるわけですね。

長野

だから僕の博士論文は、今四川省で話されているギャロン語、チベット・ビルマ歴史言語学の研究には重要な言語ですが、その記述研究が僕の博士論文です。

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編集部

ポン教へのつながりは?

長野

博士論文以来それをずっとやっているわけですが、何でも屋なわけです。本当は言語だから言語だけやりたかったのですが、調査中にチベット人が「変なチベット語があるよ」っていうんです。調べてみたらチベット語ではなかった。1つの未解読言語シャンシュン語だったわけです。シャンシュン語が追っ払われて逃げて行った先がギャロンで、もともとギャロン語が専門ですから、結局シャンシュン語もやらなきゃならないし、シャンシュンっていうのはポン教のセンターですから。
ただ民博の2代目館長である佐々木高明さんが、どうせやるならポン教文化の研究って大きく構えて、民博が館としてサポートするグレードに上げた方がよいということで、科研(科学研究費補助金)を取ったんです。

それともうひとつ。財団法人東洋文庫で僕が研究員だった時に、ダライ側から呼んだ亡命チベット人にサムテン・カルメイさんという、今はフランスのCNRS名誉教授だったり、国際チベット学会の会長もやった人ですが、その方の日本での生活をサポートをしたんです。この方はもとポン教学僧なんです。この人の影響がかなりあります。彼はあまりポン教ポン教っていわないのだけれど、やはりチベットの古代史を扱えばポン教は避けて通れない。それで、カルメイさんを客員教授に呼んだり、僕が科研取るときは彼を必ずカウンターパートナーにする。そのおかげなんですよ、業績がかなりきちんと出ているのは。かれがいなきゃできなかったでしょうね。

編集部

それでこういった展示につながるわけですね! よくわかりました。

ポン教とは?

編集部

「チベット ポン教の神がみ」の展示は、4回見に行きました。いつ行っても参観者の中に熱心に説明をメモしたり、写真撮ったりする方がいらっしゃるのですが、一般人でも興味があるのでしょうか?

長野

あると思います。

編集部

それは、チベットに?

長野

チベットということもあるし、仏教じゃないということが。もう飽きてきたんでしょうね、仏教に。日本だけでなく、アメリカでもそうですよ。一時は仏教ブームでしたが、ちょっと違うなと思ったのか、エヴァンス・ベンツの「死者の書」などを読みますと、むしろ仏教ではなくこちらに近いことが書かれている。

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兎のトルマ
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ヤンのトルマ

編集部

アメリカでは受けるでしょうね。

長野

受けますね。

編集部

でもフランスなどではあまり受けないのではないですか?

長野

いや、ポン教の本格的な展示を一番最初にやったのはフランスのギメ美術館ですから。

編集部

フランスは芸術、学問、アートとしては受け入れるでしょうが、オカルト的といいますか、シャーマニズムの宗教としては受け入れないのではないですか?

長野

そうですね。そういう面はあまり強調していない。でもアートを観る目はすごいですから。それにフランスはポン教の研究も含めて、チベット研究のひとつのセンターです。さすがにすごいものを持っているし、すごい人達がいます。

編集部

ポン教の何に魅かれるのでしょう?

長野

いわゆる本当のエキゾチシズムでチベットに魅かれる場合と、もうひとつには亡命者だという同情。それとやっぱりアジア的なひとつの典型。神秘的だということも含めて綺麗だということですね。

編集部

確かに綺麗です。色使いが独特ですね。パナマの刺繍にモラというのがありますが、その色使いとそっくりですね。

長野

非常によく似ています。

編集部

日本人にはなかなかできない色使いだと思いますが。

長野

「死者の書」にありますが、四十九日に至るまでにいろいろな色を見るわけです。あっちへ行ってはいけないとか、この色についていけとか。それを忠実に表現するとこうなるということです。

編集部

ほ~~、そうなんですか!

長野

僕はチベットの「死者の書」などに記される色は、臨死体験を経た人達の知識の集積だと思いますよ。ディズニーの「ファンタジア」っていう映画、ご存知ですか? あの監督はLSD中毒なんですね。中毒状態になって幻影を見ますよね。その時の色なんです。

編集部

じゃあ、あの世っていうのはこうなっているのかな?

長野

なっていると思いますよ。中国仏教、南伝にしろ朝鮮仏教にしろ、日本ももちろんそうですけれど、そういった仏教の、ベースの部分というものはあまり重視しない。ただ、最近、奈良のレベルではもともと極彩色だったということはわかってきている。おそらく直輸入されたものでしょう。それが残っているのではないでしょうかね。

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悪趣清浄マンダラ
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悪趣清浄マンダラ

編集部

あの世って綺麗なんですね。

長野

あの世が綺麗なのかよくわからないけれど、要するに彼岸に至るまでの間に出てくる色がこうした色なんです。

編集部

あの展示は全体を通してとてもむずかしかったのですが、ポン教を知る上で何が一番展示の中で重要ですか?

長野

まあ、目玉と言うかな。ポン教の実態が一番よくわかるのはあのVTRの映像ですよ。あれが一番ポン教らしい。その次は悪趣清浄マンダラです。あれは仏教にも共通しているからわかりやすい。

編集部

展示会場にあったお花みたいになっていて番号が28まで振ってある。あの横には今度は同じように番号が振ってあって神様が描かれている絵。あれは同じものなんですか?

長野

同じものです。対応している。その花みたいなマンダラを具体的な神様の形にすると隣のマンダラになる。

編集部

仏教とよく似ていますよね。

長野

仏教と共通のマンダラです。死者をあの世に送るための儀式の時のマンダラなんですね。その場を浄めてちゃんとあの世にいけるようにと祈祷する時にあれを使う。
ポン教っていうのは元々死者儀礼から始まっている宗教ですから、たぶん悪趣清浄マンダラというのはポン教が作り出したものじゃないかと思います。

編集部

十三仏に似ています。

長野

そうそう、そうです。

編集部

ビデオの映像で流れていたヤングーの儀礼に使ういろいろなもの、例えば「ヤンを招くもの」っていう五穀を混ぜたりするなんて、仏教でお浄めに使うものとそっくりですよね。

長野

似てますよ。同じです。

編集部

それにしても、ヤンを捕まえるって、要するに運とかツキとかを捕まえるわけでしょ? あのきれいな色のハエたたきみたいな道具を振り回して、ヤンを捕まえる。それを厳重に鍵をかけた箱にしまっておく。先生の講演聴いていた時、そんな話、普通に聴いていたらおかしくない?って思いましたよ。その辺にツキが飛んでいるとか、運があるとか(笑)。先生どんなお気持ちで話してらしたのですか?

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立体マンダラ

長野

(笑)いや、あるかもしれないですよ。

編集部

本当にそう思ってらっしゃいます?

長野

だって、現に思っている人がいるわけだから。

編集部

確かに。ヤンのおかげで運命が変わる人もいるんでしょうね。

長野

それはありますよ。
逆にその飲み物を飲み干しちゃったために後で家に不幸が起こったら、「あ、しまった」って思いますよね(笑)。お守りをゴミ箱に捨てる人、いないでしょ? 足で踏んだりね。

編集部

日本の宗教にもそういう部分ありますよね。私が以前やっていた宗教では具合わるくなると神様からいただいた紙を飲んだりしましたよ。気のせいか、具合良くなっちゃったりするんですけれど(笑)。

長野

それが本当でしょう? 要するに一種の接触呪術なんです。ポン教はそれをしゃあしゃあとやる。

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依り代(ナムカ) ドゥーと呼ばれるポン教の儀式で用いられる依り代の一種。

編集部

日本でポン教を研究されているのは先生だけですか?

長野

おそらく、研究機関ではそうですね。大学ではもう一人います。ポン教関係のことで博士論文を書いた人も一人知っています。だんだん興味を持つ人が増えてくるとは思いますが。
それと、ポン教に興味があって現地でお坊さんになったり修行したりする人はいますよ。本も出しています。あと、ポン教の中身を日常的に興味をもって文献的な研究をしたっていう人もいます。
が、由緒正しい仏教研究をきちんとやっている人がポン教なんて変なことをやり出したら非難されるので、テキスト批判はしますが、肝腎なことについての論文は書いていませんね。

編集部

ポン教はそういう位置づけなんですか?

長野

そうです。だから大学で表向きポン教をやっている人はほとんどいない。

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編集部

つまり外道扱いなんだ。

長野

そうですよ。もちろんそうです。
要するに仏教側から言えばポン教なんて外道で、馬鹿にしていますよね。
ポン教の人のことをポンポっていうんですけれど、本当の意味でポン教信者を指す場合と、日本で言えば拝み屋さんですね。要するに怪しげなことをする人って言う意味でも使う。だから仏教の高僧にポン教の研究しているっていうと嫌な顔しますよ。

編集部

それは日本だけでなくて中国でも?

長野

それはそうです。

編集部

へえ。でも一般大衆にはすごくありがたいんじゃないですか? 難しい教理だけじゃなくて実際に救われた方が。

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長野

そりゃもちろんそうですよ。ですからかなり強固な信徒集団を持っています。土地の豪族、つまり氏族宗教ですからね、そこの影響下にある人達っていうのは裾野が広いです。

編集部

そういう意味でいえば、日本の宗教のあり方とチベットの宗教のあり方はよく似ていますよね。

長野

似ています。非常によく似ています。だから、日本で言えば真言宗が一番ポン教には理解を示す。ありようがよく似ているから。
はっきり言えば、やっていることは陰陽師の世界なわけです。そこは仏教であろうがポン教であろうが、仏教のニンマーパ、真言に当たるものっていうのは通底しています。そこへ訴えかけるっていうのは、その実一番強いんですね。 

編集部

違うよって言われても、個人レベルでは否定のしようがない部分があります。

長野

そうです。シャーマニズム的な部分というのはどの宗教にもありますし、そこへ訴えかけりゃ‥‥。

編集部

そこがないと宗教じゃないんじゃない?って、私は思っちゃいますけれど。

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長野

そうですね。宗教体験でいうところのシャーマニズム的な部分っていうのは非常に普遍的ですから。

編集部

宗教って面白いですよね。

長野

面白い。けれどそれを生業にしたらしんどいでしょうね。
だから宗教学者なんていうのは、よく堀先生が言っていたけれど「お前ら二十歳代の青二才がやる学問じゃねえ」って。そりゃそうだ。
やっぱり宗教学者っていうのは、本筋になったら、本当に自分の人生賭けて、価値観賭けてやらなきゃならない学問でしょ? これはしんどいですよ。
宗教社会学とか宗教心理学とかっていうのは要するに逃げです。
どうして宗教学ならないの?って訊きたいですね。
でもお前やってみろって言われたら、いやですね(笑)。できないですから。