国文学研究資料館
特別展示 近衛家陽明文庫 王朝和歌文化一千年の伝承
「陽明文庫」とは、1938 年(昭和13 年)に当時の内閣総理大臣近衞文麿(近衞家29 代当主)が、仁和寺の北西部に設立したもの。藤原道長自筆の日記である「御堂関白記」(国宝)、名筆の集大成である「大手鏡」(国宝)、美麗な唐紙に和漢朗詠集を書写した「倭漢抄」(国宝)等、五摂家の筆頭である近衞家が宮廷文化の中心として護り伝えてきた貴重な文書や宝物を収蔵している。
今回の特別展示の見どころは、平安時代に編纂された歌合の記録や、近衛家の歴代当主の文芸活動を示す和歌懐紙、近世の近衛家と皇室との関わりを示す宸翰なども併せて展示されること。さらに近衛家伝来の名宝として有名な古筆の名品も多く展示されるところから、近衛家という家を核として伝えられた王朝和歌文化の世界を実感できるにちがいない。
展示開催期間 | 平成23年10月8日(土)~12月4日(日) |
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開催時間 | 午前10時~午後4時半(入場は4時まで) 期間中の月曜日は休館(10月10日は開館) |
特別鑑賞料 | 300円 |
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《近衛家について》
※そもそも近衛家は五摂家筆頭の家柄といわれる。すなわち、中臣鎌足が大化の改新の功により天智天皇から藤原姓を賜ったことに始まる藤原氏は、鎌足の子不比等(ふひと)の次の代で南家・北家・式家・京家の四家に分かれるが、中でも北家はその後最も繁栄し、その嫡流は代々朝廷において重要な地位を占め、平安中期には藤原道長に代表される如くその全盛を見る。
その後しばらくは摂政や関白の職に就くことにより実力実権を掌握してきた藤原北家の宗家すなわち摂関家も、平安末期になりようやく公家による政治も衰えを見せ、その実権が武家の手に渡るに及ぶと、それまで一系であったのが、道長より下ること五代、忠通(ただみち)の次の代で二分する。忠通の嫡子基実(もとざね)及びその子基通(もとみち)の流れに対し、三男兼実(かねざね)の流れが分かれ立つ。前者は基通の邸宅が平安京の近衛大路室町にあって近衛殿と称し、のち代々がこれを伝領して居宅としたのでそれを家の名とした近衛家、後者も代々の居住の地名をとって九条家と呼ばれた。さらにその後、二、三代の間に近衛家からは鷹司(たかつかさ)家が、九条家よりは二条、一条の両家が分かれた。これよりこの五家に限って摂政・関白の職を継承し得ることとなり、これを五つの摂関家、五摂家と称するのであるが、近衛家は始祖が嫡男であったことからその筆頭に位置するのである。
ちなみに陽明の名は、近衛大路が大内裏の外郭十二門の一、陽明門より東に発する大路でこれを陽明路ともいい、従って近衛殿あるいは近衛家をも陽明殿、陽明家と称したことによるものであり、この呼び名は早くから記録などに見受けられる。また五摂家の他の家にもそれぞれこの別の呼び名があり、挙げておくと、九条家は陶化、二条は銅駝、一条家は桃華、鷹司家は楊梅で、楊梅以外は平安京の坊名に由来し、五家ともこの別称は官職に唐名があるように唐風のものとして付けられたかと考えられる。
(陽明文庫講座『近衛家陽明文庫の沿革』(陽明文庫文庫長 名和修)より抜粋)
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