命をかける娯楽――芸能「歌舞伎」
アカデミックたちかわ――国文学研究資料館国文学研究資料館 副館長 武井協三氏
京都三大美少年の一人。
長じて初期の歌舞伎の専門家に。
「見ぬ世の人を友に」して得た話は、深い。
武井
昭和三十年代後半にね、京都に三大美少年ちゅうのがおったんですよ。
ひとりはこの前、龍馬伝で山内容堂をやった近藤正臣。もうひとりが沢田研二、ジュリー。で、もうひとりは、私ね。
編集部
誰がそう言ってたんですか(笑)?
武井
みんな言うてました。
編集部
そうですか(笑)。ずっと京都でいらっしゃいますか?
武井
男前の話の次は京都の話しましょか。
京都の生まれ育ちで、大学は早稲田やけど、関西弁をずっと使こてるんですよ。国文学研究資料館の共通言語は関西弁でなければいかんと思ってるんです。
だってね、枕草子。清少納言っていう人はずっと京都の御所に居た人ですよ。そしたら「春はあけぼの」という響きで文章を書いたわけではなくて、「春はあけぼのや~」と書かはったわけです。源氏物語だってそうだし、徒然草だってそう。
江戸の真ん中あたりまで、文化の中心は上方です。ですから関西弁の響きっていうのは、古典文学の中で非常に大事なはずなんですね。まあ、そういう言葉を大事にしていこうという意図があるんやな(笑)。
編集部
反論はないんですか?
武井
反論、聞いたことないね。そう言われてみたらそのはずや、となるんですね。
それぞれの地方の言葉っていうのはね、大事なものだと思うんです。
例えば「花」っていう言葉。その言葉でどういうものを思い浮かべるか。
英語でフラワーって言えば、彼らはバラを思うかもしれない。東京の言葉で「花」って言うと、ちょっと凛とした感じの美しさ。京都では「花」言うたら、もっとぼーっとした美しさなんですね。
「はんなり」っていう言葉が京都にはある。「あんた小さい頃ははんなりしたええお子やったなあ」って言う。それはぼーっとしてる。おっとりしている。一輪のきっぱりした美しさではなくて、吉野の山の向こうにバーッと咲いている桜の遠景みたいな。
我々は言葉っていうのはコミュニケーションの手段と思ってるけれど、それだけじゃなくて、言葉は思考の中心にあるわけです。その言葉で考えている。東京の言葉だけになってしまうと、京都のはんなりした花だとか、そういうイメージを表す言葉がなくなってしまう。
それぞれの地域で育ててきた言葉っていうのは、文化の中核にあるものだから大事にしないと。
話が真面目になり過ぎてるね(笑)。
編集部
三大美少年のおひとりだとすると(笑)、
先生は相当もてたわけですね?
武井
めちゃめちゃもてました。
編集部
ご専門の歌舞伎などは、もてるって大事なことですよね?
武井
そう、華のある役者が人気を得る。そういう側面はやっぱり大事なんです。
真面目に修行して台詞のしゃべり方だとか、体の動かし方を一所懸命努力した役者、それはそれで尊いんだけれども、それだけではどうしても人気役者にはなれない。持って生れた存在感というのが必要なんですね。
五代目の団十郎と言う人がいてね、この人はへたくそやった。稽古の工夫をいくらやってもしょうがない、そんなことばっかりやってたら身が持たんという言葉を残してるんですよ。
自分が舞台に出ただけで、観客がワーッと喜ぶ様な役者になりたいと。存在している人間のそのめでたさ、そういうものを体現する存在でありたいと言ってるんです。その五代目団十郎が江戸でものすごい人気を得たんだけども、これは江戸に疫病が流行った時期で、江戸の人口が百万ぐらいだと言われている時、二十万人ぐらいが死んでる。二十万人も死んで、どこの家族でも一人ぐらいやられている。そういう時期に劇場へ行って、ずっと何代も続いてきた団十郎の演技を見る。
荒事って言うんだけども、大きい所作でもって、見得をして、それはまるでそこに太陽があるような演技です。
温かい太陽がある様な、そういうものを観て、江戸の人達は安心するわけです。「ああ、ここに変わらないものがあった」と。それは上手いとか下手とか、そんな事を越える「存在感」なんですよね。
編集部
なるほど。
武井
今回の震災を通してもね、我々のような文化や文学の研究者に一体何ができるんだろうと、非常に無力感におちいることがあるんだけれども、こういう時期が一定期間過ぎた時に人間が何を求めるか。
もちろん食べて命を生きながらえる事が一番大事なんですよ。
だけれどもそれができるようになった時、豊かに生きたいと。飯もおかずもドンブリにほりこんで一緒にして食ってたのが、きれいに盛り付けしたものを食べたいなと思う。美しい盛り付けのその美しさの部分に文学だとか文化だとかそういうものがある。
編集部
―私が歌舞伎を観に行く楽しみは、お弁当でした(笑)。
武井
うん、うん。それで良いんです。歌舞伎の楽しさって言うのは、飯食う楽しさや。
大名の屋敷なんかで歌舞伎を呼んだりすると、その記録は半分が飲み食いの記録ですよ。お菓子は何が出たとかね。そういうものを食いながら観るのが芸能です。相撲でも演劇でも、普段は真面目に働いてる人達がちょっと「外れる」楽しみって言うものを彼らは提供してきたんです。
芸能、歌舞伎っていうのは飲み食いをして楽しむのが本来の姿。歌舞伎に「かべす」っていう言葉がある。菓子、弁当、寿司って言うこと。
歌舞伎の楽しみの大きな部分は「かべす」。それから着飾る楽しみね。一張羅着て。
編集部
歌舞伎の「研究」とかって言うから、だんだん勉強みたいになっちゃうんじゃないですか?
武井
うん、そう。だから、それは研究者がそういう事をちゃんと教えないと駄目ですね、大学の講義なんかで。
本来芸能とはこういうものだということをね。
源氏物語だって本来楽しむものなんで、日本の古典もほとんどのものは娯楽の為のものです。
娯楽って言うと何か低い位置にあるみたいに思われるけれども、命をかける娯楽って言うのがある。日本の芸能では、娯楽は「慰み」って言ってます。慰みって言うと、何かお慰みごとっていう感じで、レベルが低い、位置付けが低いと思われがちだけれど、慰みって言うのは、いつか死ななければならない人間が命を洗濯して、新しい命を吹き込むことなんです。
簡単に言えば温泉に行くみたいなもんですよ。温泉行って「ああ、ええ湯やったな」「ああ、ほっこりした」「寿命が延びたわ」って言うでしょ? これなんです。
能の元になっている芸能のひとつに「延年」って言うものがある。延年って言うのは年を延ばす、齢を延ばすっていうこと。人間がただ生命を維持してるだけじゃなくって、活き活きと生を送っていくということ。
寿命は限られてるわけやけれども、こういう風に人間が生きていく、横の振幅でもってそれを豊かにしていく。それが芸能の役割です。芸能の慰み。娯楽の役割。
で、これが百年ほど前の歌舞伎の台本。
編集部
すごい虫食ってる‥‥。
武井
きれいに食ってるでしょ?
ある本が見たいと思って地方の図書館なんかに行く。それで、その本に初めてご対面した時って言うのはね、古い本って言うのは大抵冷たい。触ると冷たいのね。冷たくてしっとり濡れてる感じがある。
そういうのに遭った時に、「ああ、百年間、こいつは俺を待ってたんや」と思うのね。
それはね、惚れた女に会うてるみたいなもんですよ。
編集部
へえ!色っぽいですね。
武井
百年間じぃっと待ち続けてくれた女に、
今俺は会うていると。
編集部
私はこちらに来るようになって、感じることがあるんです。本の中に出てくる実在した人、しない人、登場人物とか、古文書に書かれている名前とか。本や資料を見る度に、または資料館の書架を見せて頂くと、その人間の数っていうか、魂の数っていうか、そういうものに圧倒されるんです。生きてるっていうか、その中から呼びかけてくるっていうか。そういうのは感じないですか?先生。
武井
それはね、それはあれです。「見ぬ世の人を友とする喜び」って言うんです。
これは徒然草に書かれているのね。今は見られない世の人間が立ちあがってくることがある。その瞬間って言うのがやっぱり面白いですよね。
私は「江戸歌舞伎と女たち」って言う本を書いたんだけれども、さっき言った五代目団十郎の奥さん、愛人、母親の三人の事を書いたんだけれどね。今まで名前も知られてなかったし、存在すら研究者も誰も知らなかったんだけれども、それをずっと調べていくと、その三人が生きて動き出すのね。こんな事を考えておったんや、こうやってたんやと。面白いですよ。それはもう、快楽ですよ。
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