氷をよむ 前編
氷の記憶を遡るすごい発見国立極地研究所 研究教育系気水圏研究グループ 助教 川村賢二氏
国立極地研究所・研究教育系気水圏研究グループ・助教 川村 賢二 さん
東京都出身。東北大学理学部。東北大学大学院で地球物理学を専攻、理学博士。スイスのベルン大学に研究員として、その後、世界でも1、2位の大きさと言われる海洋、気候の研究所である米国スクリップス海洋学研究所に勤務。東北大学で助手をした後、2007年から極地研究所。「塾はいったことないですね~。お金がなかったから。漫画を買うお金しかなかったですね」と笑う。
川村賢二先生といえば、英科学雑誌ネーチャーに論文が載ったことが有名。
ドームふじ基地から掘削した氷床コアの気泡を分析、過去36万年分の大気中の酸素と窒素濃度比の分析結果を使い、過去の年代決定がかなりな精度でできる指標を発見した。
気候変動の真実を知り、未来を予測するにはまずこの年代が決まらなければ何もわからない。
世界でもっとも高精度な年代を作った、まさに立川の世界一!
すごい発見
南極大陸を覆う氷の台地を氷床という。降雪が続いていているのに一定の厚みを保ち、氷床の厚さは3kmのまま。その氷床を掘削したものを氷床コアといい、過去の気候変動の記録をそこに読む。
氷床が厚みを保つメカニズムはホットケーキをイメージすると分かりやすい。フライパンに溶いた粉を流し込む。上から垂らしている間は一定の厚みを保っているが、止めると薄くなる。氷床も同じで、非常にゆっくりだが絶えず横に流れて広がり薄くなろうとしている。降雪のスピードと流れるスピードのバランスで今の厚みが保たれるのだ。流れるスピードは深度によって異なる。表面に降った雪の層がどういうスピードで流れていくかをモデル化し、最初の年代決めをする。しかしこうして求めた年代は、30万年遡れば1万年くらいの誤差が出てしまう。割合で言えば3%くらいの誤差なので、かなりいい精度だとも言えるが、これでは気候変動のメカニズムを調べるには十分ではなかった。
氷床コアに含まれる気泡は、降った雪が自分の重みで固められ、高圧で雪の粒同士がくっつくと同時に、隙間が孤立してできたものだ。気泡の中の空気は、昔そこにあった空気で、ドームふじのコア最深部は72万年前なので空気もそれくらい古い。しかし酸素分子は小さいので、気泡に取り込まれる際に少し抜けてしまう。氷の中の酸素濃度を調査し最初に決めた年代に載せていくと、波のような周期的な変動が見えてきた。この変動は、南極の日射量の変動とよく似ていた。氷の中の酸素濃度は、気泡ができたときの抜け具合の変化を通じて、過去の夏の日射量を記録しているのだ。
川村
「最初にそれを発見したのはアメリカの研究者です。アメリカが持っている氷床コアの酸素濃度の記録が、南極の場合、その場所の日射量を記録しているという事実を発見したんです。ただ、彼らはその事実を見つけただけで終わってしまった。僕らも同じものを測っていた。ドームふじの氷床コアは2つありますが、1990年代に掘られた最初のコアを用いて、34万年前から8万年前くらいの期間を調べた結果、やはり日射量の波と似ていることがわかった。そこで今度は、この事実を使って年代決めをしようという発想でデータを解析したんです。酸素濃度のデータを出して、計算で求まる日射量の変動曲線に対して合わせこむ。アメリカの研究結果は20万年前より古い期間のデータしかなかったので、このやり方で年代の精度が上がるのかどうかわからなかった。ドームふじ氷床コアは質が非常に良く、より最近の年代までデータが使えたので、年代の検証ができた。その結果、年代決定精度が34万年で1500年から2000年とものすごく良くなったんです。
日射量や温室効果ガス、海面の変化など様々な要因によって、地球上のあらゆる場所で気候変動が起きますが、それらがどういう順序で起こり、何が何に影響を与えたかということを知りたければ、まず年代を正確に決めないといけない。特に、北半球の夏の日射量の変化する周期はだいたい2万年ですが、その周期の中で、いつ何が起こったのかを正確に知りたい。ところが、年代の誤差が1万年もあると、気温が上昇したのが日射の上昇した時期なのか下降した時期なのかもわからない。誤差が2000年だったら、それがわかってくるわけです。
また、最近のイベントだけを調べたのでは普遍的なメカニズムがわからない。かつてはいろいろな間氷期(氷床が比較的小さい時代)があった。短かったり長かったり、海面が高かったり低かったり、今よりも少し温かかったり寒かったり。気候変動のメカニズムの全容を知るには、過去の氷期から間氷期への移り変わりをいくつも調べなければならない。ドームふじのコアにはそれが7個入っているんです。氷期から間氷期に移り変わるイベントが7つ。それを全部2000年くらいの精度で調べれば、これはすごいです。いろいろなことがわかってくる。一般的にどんな記録媒体の年代決定も、古くなればなるほど年代決定の誤差が大きくなります。浅いところでは正確でも30万年遡れば誤差が1万年。それが普通でした。が、僕らのやり方では、データをちゃんと測りさえすれば年代決定の精度は落ちない。今では70万年前まで遡れます。」
氷床コアの保存 - 日本のすごいところ
ドームふじ基地から掘削した氷床コアは2つ。酸素濃度については第1期の34万年前部分のデータよりも、第2期の72万年前というさらに古いデータの方が圧倒的に精度が高い。その理由は保存方法にあった。酸素は氷から抜けるのが速く、測るのがむずかしい気体だ。第1期の氷床コアでデータをとっている時にその事実に気づき、それまで-20℃で保存していたが、第2期のコアは分析するその日まで-50℃で保存する方法に変えた。
氷床3000m下方にある氷には、300気圧近い高圧がかかっている。掘り出せば、周囲が1気圧なので氷は膨張し始める。氷は空気を透過し、空気は圧力の低い方へと移動する。気温が高いとその気体の動きはさらに活発に。つまり-20℃で保管するのと-50℃で保管するのとでは空気の拡散のスピードは100倍といったレベルで異なり、1年も経つとかなり違ったデータになってしまう。-50℃で保管すれば10年経ってもあまり変わらない。-20℃で保管していた第1期コアより、-50℃で保管した第2期コアのデータの方が優れているのは主にそういう理由だ。測定装置も改良し、分析精度も従来の5倍に引き上げた。
川村
「-50℃の環境は、抜けやすい気体にとっては絶対必要。CO2やメタンなどの温室効果ガスは分子のサイズが大きいので抜ける心配はない。アメリカでは40年前に掘られたコアを-20℃で保存して、今でもそれを使って温室効果ガスの研究している。そのデータはフレッシュなコアのデータとほとんど変わらない。でも、酸素濃度を測るには-50℃は必要です。新たな年代指標を開発したことは、到底僕らだけでできた仕事ではない。それまでの様々な国や分野における研究の積み重ねを、さらに高めて完成させた仕事です。特に、日本の氷床コアが-50℃で保存されていたということは大きい。外国ではどこもやっていません。これから掘るコアでしたら外国も真似できますが、すでに掘られているものではもう同じことはできない。日本では全部-50℃で保存していますから、また計り直したいとか新しい部分を計るとかってさらに精度を高められます。まだガスが抜ける問題がよくわかっていなかった90年代から、-50℃の施設を作ってきちんと保存していてくれた。それがなかったら今回の研究もできていません。うまく測れる人がいればすべて解決するわけではなくて、様々な先人からの恩恵のおかげで、気候学的にものすごく重要な貢献ができたということでしょうか。」