普通が一番です松平定知氏
松平 定知(まつだいら さだとも)さん
1944年生まれ。1969年にNHKに入局し2007年に退職するまで、「連想ゲーム」「日本語再発見」の司会、「夜7時のTVニュース(19時ニュース)」「朝7時のTVニュース(モーニングワイド)」などNHKの顔として活躍。担当した「NHKスペシャル」は100本以上にのぼる。現在も「その時 歴史が動いた」(毎週水曜/夜10時~)、「藤沢周平を読む・用心棒日月抄」(毎週火曜ラジオ深夜便0時25分~)で活躍中。早稲田大学、立教大学大学院 客員教授でもある。
松平定知さんが立川にいらっしゃいました。3月7日は第7回応現院文化講演会。
松平さんを講師に迎え、『私の取材ノート ~「その時歴史は動いた」の現場から~』というテーマでお話をしていただきました。
「もし、あの時家康がいなかったら……」。歴史の瞬間瞬間を熱く語っていただく中に、
3月18日に最終回を迎えたこの番組のすばらしさを改めて感じさせられました。
このインタビューは講演会終了後、応現院内でお願いしたものです。
ことばのプロ中のプロに「朗読」について語ってもらいました。
編集部
お疲れのところ、ありがとうございます。松平さんは、テレビで拝見するときも今日の講演会も、体でお話なさいますね。
松平
ええ。落ち着かないキャスターと言われていました。
編集部
いえいえ(笑)。あれは体がああして動いてしまうのですか?
松平
そうですね。じっと動かないでいたら不自然でしょう? 顔を作ったり声を作ったりするのは不自然。何が自然かということです。朗読でも何でもそうですが、聞く人のリズムと話す人のリズムが一致していないと波長がくるうんです。
編集部
でも、テレビのときは松平さんの目の前に人は見えていないですよね? 聞いている人が見えていないのに、リズムがわかるのですか?
松平
それは書いてある内容によります。つまりね、僕たちは先輩からとてもいいことを教わっているけれど、とんでもないまちがいも教わっている。
編集部
というと?
松平
「アナウンサーたるものは書かれてある一語一句を心をこめて一生懸命伝えようと思えばそれは人に伝わるものだ」と。だから心をこめて一生懸命読みなさいって。でも、本当に一語一句に心をこめてやったら、聞けないですよ。
編集部
ニュースでもナレーションでも、朗読でも?
松平
ニュース読みの場合は、例えば
なんてね、一生懸命読むんですよ。イントネーションもまちがっていない。アクセントも全部正しい。
でも、こうして心をこめてこう読んだら……。わかりますか? わかるより前に、聞いてて疲れちゃいますよ、ね。この場合は「麻生」と「帰国」さえわかればいいんです。これがニュースです。
編集部
なるほど。
松平
「麻生」と「帰国」だけを際立たせるにはどうするかというと、キーになる言葉以外あとは全部捨てるんです。
僕は現役時代に「ぶっきらぼう論」を提唱しました。キーになる言葉をきわだたせるために、他の言葉は極力そっけなく読もうと。なぜかというと、ひとつひとつの言葉を丁寧に、一生懸命強調して読んだら、全部が強調になってしまう。
今もそういう人いますけれど、「あの人は一語一句、一生懸命読んでいるから、多分、いい人なんだろうな」とは思うかもしれないけれど、でも、その人の伝えるニュースは伝わらない。
ニュースはわかってなんぼ、です。
編集部
ニュースですものね。
松平
NHKの文調研というところで、「見ず知らずの人がいきなり声をかけてきてその人が言っていることがわかる時間的限度」という研究をした人がいて。それは10秒だそうです。じゃ、10秒は何字くらいかなと考えると、これは遅口、早口ありますが、僕が今話しているのは、1分で400字をちょっと超えてると思います。
僕が入局した1969年は、子どもニュースなどは300字でしたよ。それから漫才ブームだなんだとあって、どんどん情報量が増えていった。僕は400字ちょっと、久米宏さんは430字くらい。黒柳徹子さんにいたっては500字超えていると思います。だから10秒というのはだいたい60字から70字と思っていただいていいのではないでしょうかね。
つまり、60字から70字で句点がない原稿、情報というのは、相手にそのまま伝わらないということです。
編集部
はい。
松平
70字くらいの原稿ですと、これがニュースの場合には、何を言いたいか。何が一番キーになる名詞なのか。動詞でもいいんですが、ニュースは名詞が多い。何が一番キーになる名詞なのか、それを見つけることがジャーナリストのセンスなんです。
編集部
ニュースを読むアナウンサーのセンスだけなんですか? こう読みなさいって言われないんですか?
松平
言われない。アナウンサーのセンスです。だからうまい人もいるし、そうでない人もいる。
編集部
なるほどねぇ。それはニュースを読む時。では朗読は?
松平
その前にナレーションというのがあって。ナレーションというのはプロデューサーやディレクターと一緒に変えることができるんです。
つまり、ここは3秒長くなっちゃったから削ろうかとか。それも「わかる」ということを前提にやるんですが。僕たちの手によってわかりやすくすることができる。
編集部
はい。
松平
朗読というのは、僕は一切変えてはならないと思う。そこに書いてある通り読むのが朗読。その作品を書いた人がいるのだから。書いた人の書いた通りに読むのが朗読。
編集部
私、松平さんの読まれた「薮の中」を聞いたんです。
検非違使が 樵 | きこり から始まって、関係する何人もの話を聞いていく。
あれが映画になるとたくさんの人が演じるわけで、それを松平さんは1人で読む。その役割を読み分けるのに、松平さんの解釈で読み分けるのではないのですか?
松平
そういう意味ではそうかもしれない。でも字面は変えてはいけない。
編集部
だから括弧でくくってあるところまで全部お読みになるんですね。
松平
そうです。僕はそれが読み手の最大の誠意だと思うんです。作者に対してのね。藤沢周平さんの奥様だとかお嬢さんに大変信頼していただいています。わかりにくいとか時間の都合でなどと言ってカットするということは僕は一切しない。そっくりそのまま読んでいる。今、ラジオ深夜便で藤沢周平作品の朗読をやっていますが、一字一句絶対変えちゃいけないと思いますね。
編集部
でも、自分の解釈で演出して読むという方いますよね?
松平
いろいろな解釈がありますよ。
自分が発声をするわけだから、自分流に、自分が読みやすいように読んだらいいという人もいます。つまり読んだら、その瞬間に、それは原作とは違って他の命が含まれるのだという人もいます。
でも、僕は違うと思う。書いてある通りに読む。ひたすら「その通り」に読む。そうすることによって、何かが見えて来る。自分の解釈だなんだとエラそうなことを言っちゃいけなくて、そこに書いてある通りに、視聴者が僕の朗読を聞いて、わかるようにそう読む。
これは恩師の杉澤陽太郎という元アナウンス室長ですけれども、この人から叩き込まれましてね。この方法論は正しいと思う。自分の解釈なんてやっちゃいけない。どうしてこの作者は、ここにこういう言葉を選んで置いたのだろうと、作者の思いを忖度(そんたく)して、理解して、その作者の心が聴取者にわかるように「そう」読むのです。
編集部
なるほど! 余計な感情が入ってくると聞いていられない時がありますね。さきほどの「麻生総理大臣」じゃないですけれど。うまい人もいますが、余計な感情移入があったり、直らないイントネーションが気になって聞いていられない。
松平
「ことばの杜」と言って……
編集部
ああ、はい。山根基世さんの……。
松平
そうです。今、山根君たちと一緒にやっているんですけれど。その中で2、3回読み聞かせ教室に行きましたが、とにかく、お母さん方が女優のように変身する。
編集部
やっぱりそうですか(笑)。
松平
気持ち悪いのなんのって(笑)。
編集部
よくわかります。
松平
坊やや嬢やが化け物を見るみたいに、見るわけですよ。これはもう読み聞かせじゃない。バラエティですよ。
編集部
(爆笑)
松平
あなたは女優じゃないし、きれいな声を出そうと思いなさんなと。普通にやりなさいと。読むとなるとお母さんが変身した。そうなると、それは読み聞かせではなくて、別のものになっちゃう。読み聞かせっていうのは、本当に、普通の自分の調子で子どもに伝えることです。
編集部
う~ん。
松平
セリフなんていうのは、鍛錬受けてない人がセリフだけうまいなんてことはあり得ないんで、作ると全体が気持ち悪くなっちゃう。
編集部
そうですねえ。
松平
だから、「あなた方、これダメ、これダメ、これダメ」って。
編集部
ダメ出しする?
松平
します。します。
編集部
で、普通に文字通り読みなさいと指導する。
松平
そうです。「太郎ちゃぁ~ん」とあなた普通言いますか?と。
編集部
ふふふふふ。
松平
ねえ?(笑)。普通の時は普通に「太郎ちゃん」と言うでしょう?
それなんですよ。自分の普通の声で、普通の言葉で、コミュニケーションとるのが親子の関係なんであって。さあ、これから読みますよとなって、とたんに「太郎ちゃぁ~ん」って言ったって、子どもはちっとも親近感なんかわかないし、子どもの方から引いてしまう。もう金輪際、お母さんに読んでもらおうとは思わない。
編集部
「ことばの杜」で大事にされていることは、ことばによるコミュニケーション、ことばの本当の美味しさということですよね?
松平
そうです。
編集部
そのことばの美味しさというのが、こういうことなんですね。
松平
その通りです。
編集部
それは借りてきた言葉だったり、変身したりではダメということですか?
松平
ダメ。自分じゃなきゃ。身の丈じゃなきゃね。うまく演技してやろうと思うと、必ず、100%破綻がきますね。樫山文枝さんとかね、ああいう手だれはもののみごとにやってのけます。それは、だって、訓練してるんだから。訓練してない普通の人が、急にやろうと思ったって、それは無理です。
編集部
松平さんはなぜ間違えないんですか?
松平
間違えますよ~。
編集部
え~、全然間違えてないじゃないですか。すごいなあって思ってるんですよ。
松平
それは編集者がうまいわけです。僕もこの商売をして40年。だから、一家言持っているつもりですよ。
ラジオ深夜便もそうですし、アーカイブもそうですが、この編集をやってくれているのが多田さんとおっしゃる方で、朗読一筋の方なんです。この人がね、僕が気分よく読んでいると、ブッブーって鳴らすんですよ。
「あれ、雨が」という一節を、僕は「あれ?雨が」と「あれ」の『れ』を上げて読んだんですよ。そうしたらブッブーと来るわけです。
「松平さん、これは「あれ(語尾を上げる)」じゃなくて、「あれ(語尾を下げる)」じゃないの? とね。
つまり、まったく知らない時にひょっと外を見たら雨が降っていた。今まで晴れていたんだから、「あれぇ?雨だ」って「あれ」が上がっているわけですよ。
ところが、別れ話かなんかやっていて、夫の方がめんどくさいこと言って、女房が話題を変えたくて外を見たら雨だったという時には、その時の空気を変えたくて言うのだから「あああ、雨だ」という気分で、ポツリと言う。別に天気の変化に驚いているのではないから、この時の「あれ」の『れ』は下がるんじゃないの、とか。
僕も一家言ありますから、いやこれはこうだとか反論しますよね。
つまり「あれ」だけで10分くらい喧嘩するわけですよ。
そういうことをやって、そうですね、9割方多田さんが正しいですね。ということは、解釈が僕よりずっと深いわけです。となると僕は今64才ですが、多田さんとコンビを組んで7、8年かな。当時アラカンだったわけですね。アラウンド還暦。
編集部
あはははは。
松平
僕はまだ発展途上人だなあと思いましたね。多田さんという方がいらっしゃる限りね、この方に追いつけ追い越せ。この人にダメを出されないように頑張ろうとね。朗読はだいたい月曜にあるんですけれど、日曜は早めに風呂入って早めに寝ますよ。
編集部
松平さんをして、なおそういう準備までするんですか?
松平
ええ、これはね、精神的にきちっとやってないとね。それはだって、「あれ、雨が」で怒られるんだから。「あれぇ?」じゃなくて「あれ!」でしょうって指摘されるんだから。で、その方が正しいわけですよ。そうなるとね、これはね、ちょっと参った!ですよね。
編集部
そうかぁ。話は変わりますが、3月4日放送の「その時歴史は動いた」もおもしろかったですね。ウォールストリートの話。
松平
あ、そう?
編集部
ええ。歴史っていうのは過去を見るだけじゃなくて、未来のためにあるって。
松平
あの不況を脱出するための方策のひとつとして、当時日本政府は何をしたかというと、中国大陸に進出したのです。その後満州事変、日中戦争、太平洋戦争とつながっていくわけです。
編集部
身を乗り出してらっしゃいましたよね。
松平
そうそう。「未来を見るために歴史をみるのです」ってね。
編集部
ええ。今、よく似た事情の中で口にはしないけれどそう言いたいのだろうなと思って見ていました。やっぱり伝わってくるものですね、おっしゃりたいことって。
松平
ほんと、僕、そう思いますよね。だからね、変に言葉を作ろうとか、声を作ろうとか、表情を作ろうとかしないで、普通に。もし作ったとしたら,やっぱりそれはそれだけなんですよね。
編集部
「ことばの杜」ではみなさん、そうお考えなのですね?
松平
そう。みんな真剣にそのことを考えていますよね。
編集部
「ことばの杜」のみなさんは、自分たちのスキルを使って社会貢献しようということなんですか?
松平
そうです。
編集部
すばらしいですよね。そういう能力がおありになって。
松平
いやいや。つまりね、60で定年になったからといって、今まで使っていたノウハウを使う機会がなくなってしまうのはもったいないんじゃない?って。
いや、たいした能力は無いんです。無いんだけれども、でも、他のとなりのおばちゃんよりは、例えば朗読については一家言あるよという人がたまたま60になっただけで、やらなくなっちゃっていいんだろうかということですよ。
編集部
なるほど。本日はお疲れのところ、本当にありがとうございました。
写真:五来 孝平