インタビュー

“葉っぱの精神”を伝える葉画家 群馬直美氏

葉画家(ようがか) 群馬 直美 さん

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群馬県高崎市生まれ。東京造形大学絵画科卒業。大学在学中に街路樹の新緑の美しさに癒され、葉っぱをテーマにする創作活動に入る。1991年、緻密な描写のできるテンペラ画と出会い、原寸大で見たままに描き尽くす独自の作風にいたる。各地で個展、ワークショップを開催し、広く“葉っぱの精神”伝道者として活動している。著書に「アーちゃん--神様がくれたお友達」(燦葉出版)、「木の葉の美術館」(世界文化社)、「木の実の宝石箱」(世界文化社)、「街路樹 葉っぱの詩」(世界文化社)

聞き手 清水 恵美子/えくてびあん&多摩てばこネット編集工房

「いのちのいろ」

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編集部

昭和記念公園花みどり文化センターで、「葉っぱの詩」展 PART2 が開催されるんですね。

群馬

そうなんです! 12月17日から平成21年2月15日まで。

編集部

今回のテーマは「いのちのいろ」。どうして「いのちのいろ」なんですか?

群馬

先日のアトリエ展が「みんなのいろ」だったんです。最近野菜を描き始めたんですが、小麦を描いている時に事典で小麦について調べたんです。小麦って世界の主要穀物の1位なんですよ。ああ、この小麦が私たち人類を支えてきてくれた、命の源なんだなあって思ったら、ドキドキしてきた。

編集部

描くのは難しかったでしょう?

群馬

小麦は描くには面積が狭い。細い小麦の茎を描いていると、光の当たり具合で色が七変化するんです。この小麦の持っている実体の色は何色なんだろうって思いながら描きあげました。

編集部

それで「命」の「色」。

群馬

葉っぱが地球の命の源だとすると、野菜は私たち人間の命の源なんだな、と。野菜だけでなく結局は葉っぱもそうかなと思って、総称して「いのちのいろ」というタイトルになりました。

「世界で一番美しいもの」

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編集部

今回の展示には、混沌時代の立体作品「過去の森」もあるそうですね。

群馬

大学3年の時に作った「世界で一番美しいもの」という作品があって、私はもうこれ以上美しいものはないと思っていたのに、学園祭で発表したら、友達に気持ち悪がられたり子どもに泣かれたりして……。

編集部

その作品を今回展示するんですか?

群馬

そのもの自体はもう捨てられてこの世に存在しないんですが、それに近いもの。気持ち悪くはないけれど、過去の混沌さを表したものを展示します。

編集部

そのものは本当に「世界で一番美し」かったんですか?

群馬

はい。

編集部

まだ学生だったから、技術的に劣っていたとか……(笑)。

群馬

いえ、完璧です(笑)。たとえて言うなら、普通に美しい花ではなくて、お花でも朽ち果てても美しい。表面的なことを追わずに、内面を追ったらそうなったんです。でも、周りの反応で自分の感覚が、世の中とズレているんだと感じました。そう感じ始めたら、作品が作れなくなり感じることができなくなった。苦しかったですね。

葉っぱとの出会い

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編集部

そんな時に葉っぱに出会ったとおっしゃっていましたね。新緑の輝きに深く癒されたと。葉っぱ以降、美しいと感じるものが違うのですか?

群馬

いえ。同じです。だから何年か前にまた苦しい時期があって。街路樹の本を描く前。自分は、他の人との感覚のズレ、世の中とのズレを埋めよう埋めようと1枚の葉っぱを丹念に克明に描いていた。描けば描くほど、そのズレは深まるばかりだと更に苦しくなった。結局何をやってもズレているんだと、最近思うようになりましたね。でも、そのズレこそが神様からのプレゼントだったんです。

編集部

ズレているというのは錯覚で、もしそう感じるとしたら、周囲より速い。先を行っているのでは? 時代の最先端を行く人は、その時は理解してもらえないけれど、時代が進めばわかってもらえる。だから今になってブレイクしてきたのではないしら。

群馬

そうかもしれない。数年前に、人間の命には限界があると感じたんです。この世に生を受けて、私は今まで何をやってきたのか。ふと人生を振り返った時、何もやっていないような気がした。なおかつ命には限りがある。葉っぱの絵でもっとみんなを豊かにすることができるんじゃないかと真剣に考えた。それはすごく苦しくて、自分には何もできないんじゃないかと思ったりもしたけれど。ふと葉っぱとの出会いの瞬間を思い出して、そうだ、誰でもできる葉っぱの絵の開発だ!と。その方法を編み出した直後、世田谷美術館からワークショップ講師というお話をいただいたんです。

編集部

それももう3年……。毎年60人の方に教えているんですものね。

群馬

教えることは教えられること。
人は人によって磨かれるんだなあって実感してます。

街路樹との出会い

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編集部

以前、街路樹の本ではじけたっておっしゃっていたことありますよね?

群馬

街路樹は街があって成り立つ木。高いビルとかマンションとか、道路標識とか信号とか、そういう並木風景ばかり歩いた後で新宿御苑の有名なすずかけ並木に行った。すごく立派な並木でしたが、背後に街がなかった。それを見た時、私の目の筋肉が総動員で「もっと街並を!」と訴えかけてきた(笑)。

編集部

街路樹にはごちゃごちゃした街並が必要なんですね。

群馬

そんな街並の中で木は幸せなのかとも思っていたけど、建物のタイルを1枚1枚鉛筆で描いているうちに、作った人の愛を感じてきたんです。葉っぱは神様の愛で、街は人の愛でできている! と思ったら、木にとっては過酷な環境であるかもしれない街だけど、たくさんの人の愛に囲まれた街路樹は、そして自分は、なんて幸せなんだと涙ができてきた。

編集部

街のことをそんな風に聞いたのは初めてです。

群馬

街はたくさんの人が関わってできている。街路樹を描き東京の街をひとつずつ訪ねながら、私は決してひとりではないと思いました。よく人間はひとりで生まれてひとりで死んで行くっていうじゃないですか。妙に寂しい思いになりますよね。街を歩いて、街路樹の本を描き終わった時、人間はひとりではないと実感しました。ひとりでは生きていけないですよ。生まれたときからすでに。ひとりで生まれてくるなんて、あり得ないと思います。

そして、使命

編集部

そうですねぇ。で、使命に気づいた?

群馬

そうそう。さっきの話に戻りますが、自分自身が絵を通してできること、伝えられることがたくさんあるんだということに気づいたんです。

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編集部

それはどういうこと?

群馬

葉っぱとの出会い、新緑の輝きがすべて。要するに、あの輝きの美しさを絵によって表現することだけを求めているのではなく、あの時に私が得た感覚をみんなに伝えること。あの感覚とは深く癒された、頭の芯がすっきりするような。自分自身は自分自身のままであっていいんだよというような。ほっとする感覚。1枚1枚の、ひとりひとりの命の輝きの感覚です。

編集部

“葉っぱの精神”。ですね!
「この世の中のひとつひとつのものは全て同じ価値があり光り輝く存在である。
By Naomi Gumma」

群馬

そう。絵を通して、またワークショップやお話、文章やダンスもそうです。そういうったものを通して伝えていくのが、私が命をいただいてできる仕事ではないか。本当は世界の果てまで行って気がつくことなのかもしれないけれど、私は東京の街を歩き回り、街路樹を描きながら気がついたんです。

編集部

気づく気になったら、どんなことでも気づきの対象になるのかしら。

群馬

どんなものにも、それは潜んでいるのでしょうね。葉っぱの絵を28年も描いていると、常に常に何のために描いているのか、何ができるのか、伝えられるのかって考える。描くことは考えること。考えることは愛なんです。

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編集部

なるほど。

群馬

葉という字は、草冠に世界の世と書いて、木と書く。ということは、ご存知でしょうが(笑)、要するに草の冠をかぶった世界を木が支えているんですよ! 黄金の冠じゃなくて、草の冠ってとこがポイント。

編集部

それも群馬さんが気づいた話?

群馬

昨日、気がついた(笑)。
葉っぱはやっぱり偉大です。

編集部

地球はやっぱり緑に覆われていないと。

群馬

そうですよ。葉っぱの葉の字は哲学ですね。

撮影場所:立川市富士見町 石田倉庫アトリエ / 世田谷美術館
写真:五来 孝平