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<市内歴史散策>柴崎分水を歩く 後編―JR西立川駅からモノレール柴崎体育館駅―
- エリア 柴崎町
- ジャンル 立川の歴史
市内歴史散歩
柴崎分水を歩く
―JR西立川駅からモノレール柴崎体育館駅―
後編です。
富士見町から柴崎町へと進んでいきます。
甲武鉄道(明治22年開通)を作る時、多摩川鉄橋の高さを基準としたことから、立川駅から普済寺の横までを深く掘ることになりました。
その関係で、柴崎分水の水路を南側に伸ばし、対岸に流すために、本流はめがね橋、支流は水橋を作りました。
当初は、名主の鈴木家と中島家を結ぶ道に橋をかけ、分水もこの橋につけられましたが、奥多摩街道ができ水橋は分離されました。現在の水橋は平成29年に鋼管に変更されました。
柴崎町の住宅の間を巡る柴崎分水。
柴崎分水の看板があります。
分水の看板はこの一か所です。
富士見町に比べると、柴崎町の分水は開渠が多いですね。
ここで、本流のあったあたりを少しみることに。
満願寺の井戸・獅子宿・八幡神社大欅などの説明を聞きます。
写真は満願寺の井戸。
中島水車があったあたりを見ました。現在は駐車場。
本流7に対して支流は3と、本流は水量が多かったので水車をまわすことができました。
この水車は中島家の庭に設置されていたそうです。
今は中島家の門だけが残っています。
再び、現存する支流へ戻ります。
柴崎分水は普済寺の中を通って、東へと抜けていきます。
市民農園の隣、住宅の間にある沢の稲荷。見落としてしまいそうです。
初午の時は賑やかだったとか。
沢の稲荷の裏てに分水は流れています。
ここで、本流と合流していたそうです。
あとが残っています。
今回特別に、小川水車のあった小川さんのお宅に入らせていただきました。
小川水車は大正末まで稼働していたそうです。
段丘を利用して、上掛け式の水車。
柴崎分水は小川水車に利用された支流と東隣の小川宅に入る本流に分岐されました。
その本流は段丘を滝のように流れ落ちています。
さて、少し歩くとモノレール柴崎体育館駅。
その下を柴崎分水が流れています。
しばらく進むと立川公園につきます。
立川公園の東の端。
ここに立川で唯一の田んぼがあります。
柴崎分水はこの田んぼに利用されています。
今回の立川分水を歩くはここで終了です。お疲れさまでした。
参加されていた方も言われていましたが、よくこの勾配を測りながら分水を作ったなと驚かされました。
基本的には北から南、西から東に緩やかな勾配ですが、場所によっては勾配に逆らって流れるところもあり、当時の土木技術の高さを知ることができました。
案内の小坂先生ありがとうございました。
by JK