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立川深層12月号こぼれ話神奈川から東京へ
- ジャンル 立川の歴史
立川深層③では立川が神奈川県から当時の東京府へ編入された話をご紹介しています。
東京の飲料水の必要上、ということで神奈川県から東京府への編入になったそうです。
当時の東京の飲料水は玉川上水の水を利用していました。
その上流部が他県であっては管理が行き届かないという理由からです。
ところがそれなら、北多摩と西多摩が編入されればいいことになります。
南多摩は神奈川県に残ってもいいはずなのですが、そうはならなかった。
当時の南多摩は生糸の流通拠点であり、八王子から横浜は「シルクロード」とも呼ばれていたそうです。
そんな産業の要衝である南多摩を神奈川県が手放すのおかしな話です。
ところが、三多摩は歴史的につながりが深く切り離しては民意に反すると神奈川県知事が発言。
これをきっかっけに三多摩が東京府に編入されたそうです。
どうもことの真相は、このころの多摩地域、特に南多摩は自由民権運動が盛んで、
知事も手を焼いていたことから、強く政府に要請したのではないかと言われています。
参考文献:東京と三多摩
参考文献:水道問題と三多摩編入
参考文献:三多摩民権運動の舞台裏
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by JK