街情報
4月から始まる「オレの立川ノスタルジー」
- エリア 柴崎町
- ジャンル お知らせ
13カ月続いた野菜の連載企画が終わったところで、2020年5月号から新しく「オレの立川ノスタルジー」が始まります。立川市富士見町にある株式会社 立川印刷所の社長、鈴木武さんにお話をうかがって、鈴木さんにとっての立川をご紹介いただきます。(写真は6月号の打ち合わせをする鈴木さん。)
この度、立川印刷所では『立川の風景 昭和色アルバム その6』を刊行。サブタイトルは『アメリカ兵の車を追いかけた立川ノスタルジー 「緑川通りの1960年代を紡ぐ」』です。鈴木さんの作る本は懐かしい写真をたくさん集めた写真集。今回は、歯科医でアメリカ車を撮影し続けた高木紀男さんの写真集です。高木さんは立川市曙町生まれ。その後日野に移り日野市で歯科医として開業されますが、立川第一小学校、第一中学校、立川高校と、ずっと立川で過ごされた方。えくてびあんでは2002年1月号にご登場いただきました。
高木さんの写真を「タチカワ エアベース カーウォッチング(けやき出版)」で見た鈴木さん、ものすごい感動を覚えたそうです。自分の中にある「立川」を発見、自分の原風景はここにあるんだ!と自覚できたのだとか。鈴木さんは昭和40年~50年代の立川をよくご存知です。6月号に掲載する幼稚園の頃の話をしていた時、中央線が多摩川鉄橋を越えて立川に入るところ、普済寺のすぐ下に踏切があったと話されました。それってどこ?どこに踏切があったの?ということで、行ってきました。今は入れないように柵がされていますが、確かに踏切があった跡があります。この踏切の下にもぐると、上を電車が通るのが見えたそうです。
どんなに消そうと思っても、立川に米軍基地があった事実は事実です。それが良いか悪いかより、その時代に生まれ育った鈴木さんには、その時の立川がオレの立川なんだとおっしゃいます。その頃の立川をノスタルジックに紡いでいく企画。
4月19日発行の月刊えくてびあん5月号から始まります。乞うご期待。
by JK