街情報
緑川②曙橋
- エリア 曙町
- ジャンル 立川の歴史
高島屋の前を通って、北口大通りとの交差点。
「曙橋」交差点です。
現在、立川でもっとも交通量の多い交差点です。
戦前は北口大通りは「仲町通り」という車が離合できる程度の道だったそうです。
戦中の建物疎開により、今の北口大通りができました。
また、緑川も戦中の建物疎開により排水路ができ、その後、暗渠となって上に道路ができました。
曙橋はその名の示すように、緑川にかかっていた橋です。
緑川の暗渠化(下水道化)で交差点に名前が残りました。
多くの人が行きかうスクランブル交差点のようでうですが、斜め横断は禁止されています。
交差点の南東にあるフロム中部。
横断歩道近くのポケット広場に銅像がたっています。
「la famiglia(家族)」と書かれています。
イタリア語だそうです。
この像はもともと、交差点の電球のあるあたりにたっていました。
緑川が暗渠になった当初は、中央分離帯が広く、花壇になっていました。
トラックなどの通行には暗渠の上の補強が不足していたのかと思います。
渋滞の絶えない道路ですから、中央分離帯が狭められたのは必然かもしれません。
by JK