街情報
緑川⑥羽衣いちょう通り
- エリア 羽衣町
- ジャンル 立川の歴史
緑川第一公園を北に進みと、立川と国立を結ぶ道路にでます。
立川方向、立川通りより西側はWINS通りです。
ここから東側は、ねぶた祭行われる道。
南側は羽衣いちょう通りと呼ばれています。
緑川は昭和18年から21年にかけて東京都(内務省委任)が立川駅北口一帯の水害原因であった旧陸軍立川飛行場の排水を処理するために多摩川まで素掘りの排水路として作りました。当時は、集中豪雨による護岸崩壊もありましたが改修工事が完了後昭和23年に東京都から立川市に管理が引継がれました。
それから何度か手が加えられましたが衛生消防および地域発展の面から緑川を暗渠にしようという市民の強い要望があり、昭和29年に公共下水事業として「緑川幹線」と位置づけられその後に現在のような地下を下水道、地上を道路として使用するようになりました。
また、平成7年には羽衣橋から緑川第二児童遊園までの道路が市民からの愛称名の募集をもとに歩道にいちょうが植えられていることから「羽衣いちょう通り」と名付けられました。
立川六小前の交差点、ここに正楽院橋があったそうです。
狭山園があったところにはかなめ橋。現在は餃子雪松というお店にかわっています。
羽衣いちょう通りは立川南通りまで、ここから先は緑川第二公園。
立川南通り、JR南武線の踏切がります。
このあたりに向郷橋があったそうです。
踏切の名前も向郷ですね。
by JK