街情報
「詩歌のみち」③旧農業試験場他
- エリア 富士見町
- ジャンル 立川の歴史 お知らせ
東京都農林総合研究センター(農業試験場)にあるのが高村光太郎の詩碑。
農業試験場は広いので、詩碑がどこになるのか知らないと探すのは結構大変です。
場所は奥多摩街道を挟んで南側の道路近く。
葱
『立川の友達から届いた葱は
長さ二尺の白根を横へて
ぐっすりアトリエに寝こんでゐる。
三多摩平野をかけめぐる
風の申し子、冬の精鋭。
俵を敷いた大胆不敵な葱を見ると、
ちきしゃう、
造形なんて影がうすいぞ。
友がくれた一束の葱に
俺が感謝するのはその抽象無視だ。』
以下は説明文
「この詩は、高村光太郎夫人智恵子さんと親交のあった佐藤元農業試験場長夫人から贈られた 立川産の葱を謳ったものです。
緑ある東京都農業試験場内に 立川市の「詩歌の道」づくりの一環として建立します。」
奥多摩街道をもう少し西に行くと「立川市歴史民俗資料館」の案内板があります。
そこから下っていくと、富士見緑地があります。
その中にあるのが谷川水車・やまやのぎくの句碑。
『春を待つ路傍の石の一つ吾』
谷川水車
『どこよりも小学校のさくらかな』
やまやのぎく
以下は説明文
「谷川水車(大正5年10月31日生)立川市文化協会(前身立川市文化連盟)の創立に協力。立川市民俳句会代表として45年。「曲水」同人。「詩歌のみち」の提言者。
やまやのぎく(大正2年11月23日~平成12年10月14日没)立川市民俳句会創立者の一人。「曲水」同人。句集「冬麗」「冬泉」「人形の家」などがあります。
この句は南富士見小学校の入学児に贈った句で、「人はみな自分の小学校入学のときのことを忘れません。その時、さくらの咲いていたことも。」という意味です。平成13年9月8日。」
富士見緑地には湧水があり、とても涼しい場所です。
富士見緑地をもう少し南に行くと立川市歴史民俗資料館。
無料ですから気軽に資料をみることができます。
句碑は入り口とは反対側、建物の生垣の中にあるのが筑水(鈴木貞治)の句碑。
『麦負うて道一ぱいに揺り来る』
以下は説明文
「筑水こと 鈴木貞治(明治36年生~昭和44年没)は趣味豊かな人で松田殊水に琵琶を習い 俳句を 有山薫糸に学びました。
立川に生まれ立川に育ち 富士見町で立川印刷会社を経営するかたわら 文化人の仲間で清談会や五日会をつくり 初代立川市教育委員長をつとめ 地域の市民文化を育てました。
この句は 今から50年程度前 富士見町6丁目団地周辺が 一面の麦畑であった当時のことを 詠んだものです。平成9年10月18日。」
ここから残堀川まで歩きます。一旦、奥多摩街道に戻るのもいいのですがのぼりがきついので下を通る方をお勧めします。
富士見第二公園内にあるのが田中冬ニの詩碑。
シクラメンの花と
『大晦日の夜十時頃
親しくしていただいている花屋さんから
シクラメンの花鉢が届けられた
すばらしい花だ
そのシクラメンと年越をした
スヰートハートといっしょのように』
以下は説明文
「田中冬二(明治27年生~昭和55年没)は福島県に生まれ 東京の立教中学校を卒業ののち 銀行員となり 昭和21年 安田銀行立川支店長(現富士銀行)に就任しました。
若き日より 現代詩作家として認められ 昭和37年には作品「晩春の日に」で 高村光太郎賞を受賞しました。
この詩は 市内で花店を経営する 三田鶴吉氏から贈られたシクラメンの花束に お礼の言葉を詠んだものです。平成10年10月30日。」
by JK