街情報
歴史と文化の散歩道⑥-5古村を歩く 柴崎町編
- エリア 柴崎町
- ジャンル 立川の歴史
前回は柴崎分水を紹介しました。
今回は普済寺。
臨済宗建長寺派の玄武山普済寺は、歴史も古く、寺としての格式も高い、有名なお寺です。
立川で勢力をふるっていた武士団・立川氏が、南北朝時代の文和2年(1353)に一族の菩提寺として、普済寺を開きました。
その開山には、当時の高僧・物外可什(もつがいかじゅう)禅師を、鎌倉の建長寺から招いたということです。
普済寺は、「普済寺版」といわれる仏教経典を印刷・刊行し、当時この地方の仏教文化の中心地としての役割を果たしていました。
また、普済寺には国宝・六面石幢、首塚付近から出土した板碑群など、立川の歴史を知るうえで欠かすことのできない文化財を残しています。
しかしながら、平成7年(1995)不審火により、本堂など建物が全焼し、重要文化財の開山物外和尚坐像、市指定有形文化財の釈迦牟尼坐像が焼失。
また市指定有形文化財の普済寺保存板碑群も罹災する等、多くの文化財が損傷しました。
立川市ホームページより。
立河(川)氏館跡。
普済寺本堂の東側に高さ2m、長さ40mの土塁が残されています。
これが立河(川)氏館跡といわれています。
国宝の六面石憧(ろくめんせきとう)は現在修繕中です。
来年3月に新しい収集移設に移設予定。
首塚。
六ツ星の門の入った石材は、立川氏の墓所の扉といわれています。
by JK