イベントレポート
立川通りをあるく(北編)4月13日(火)
- ジャンル 体験
立川初心者「通りあるき」
第1回 立川通りをあるく(北編)
「立川通り」(北編)
立川通りは東京都道です。昭和59年に設定されたそうです。錦町6丁目が起点、南編は曙町2交差点までご紹介しました。北編はここから小川橋を越えて、小平市に入り、青梅街道までです。南編はコチラをご覧ください。
それでは写真を見ながら「立川通り」を歩いてみましょう。
立川通りは東京都道です。昭和59年に設定されたそうです。錦町6丁目が起点、南編は曙町2交差点までご紹介しました。北編はここから小川橋を越えて、小平市に入り、青梅街道までです。南編はコチラをご覧ください。
それでは写真を見ながら「立川通り」を歩いてみましょう。
高松町3丁目
高松町3丁目に再び起点の印が、実は東橋からここまで 緑川通りと共用になっているため、一旦途切れている。 |
マンションが建ち並んでいます。 |
この街路灯は最近LEDに交換されました。 |
夜通るととても明るいです。 |
高松町2丁目
立川競輪場に通じる通り。開催時にはガードマンが。 |
高松町2丁目のアーケードも撤去済み。 |
「IE」の横の狭い道が元の本通りだそうです。 |
芋窪街道との分岐点 |
芋久保新田
芋久保新田の事が書かれた説明板 |
最近新しくなりました。 |
芋久保新田は郡の中程より少し東に寄れり。この新田は郡中、村山郷芋久保村の農民来て開発せし故に、村名とせり。享保中開墾の頃より、元文中検地の頃まで 家族八軒ありしと、因て、今に至っても八軒新田と唱う。江戸日本橋をへだたることを八里の行程なり。四境、東に榎木戸新田に隣り、西は柴崎新田に界ひ、南 は青柳新田に接し、北は砂川新田に及べり。東西十町、南北もまた十町ばかり。平坦の地にして、土性は野土なり、水田なく陸田のみ、民戸十八軒、所々に散住 す。元文元年。
芋久保と書かれた道標 |
江戸日本橋より八里 |
栄緑地
栄緑地のモニュメント |
ランニング、ウォーキングなど利用者も多い |
元々は基地への引込線 |
見覚えのある電光掲示板が |
高木通り、江の島道、弁天通り
高木通りへの分岐 |
江の島道への分岐 |
弁天通り、幸町方面へ |
弁天町通り、国分寺・国立方面へ |
すずかけ通り、五日市街道
西はすずかけ通り |
東はこぶし台方面ですが |
五日市街道、西は幸町方面 |
五日市街道、東は若葉町方面 |
小川橋
橋の下を流れているのは玉川上水 |
向かて右に行くと幸町団地です。 |
交差点は交通量も多く、渋滞している事がしばしば。 |
左側に進むと東大和の駅に通じます。 |
小川用水、日枝神社
小川用水の表示が |
オブジェがありました。 |
これも彫刻? |
亀がいいですね。 |
青梅街道
右側がに「>」になっています。 |
途中の場合は両端が「<」「>」になっています。 |
青梅街道西方面は東大和へ |
小金井方面に続きます。 |
ここで「立川通り北編」は終了します。新しい情報が入れば更新します。
「立川通り南編」はコチラをご覧ください。